ピスタチオ物語
スマイル・ナッツでハッピー!
アイボリー色の殻から鮮やかなグリーンの実がのぞくピスタチオ。
そのユニークな形は、まるで口を開けて笑っているかのように見えませんか?
実際にペルシャ(今のイラン)ではピスタチオの実が熟し、自然に殻が割れる状態になることを”笑う“というそうです。さらにパレスチナでは、月明かりの夜に恋人同士がピスタチオの木の下で会い、殻の割れる音が聞こえたら幸運が約束されるというロマンチックな伝説も残っています。
手軽なスナックとしておいしいだけでなく、小さな1粒に秘めたるパワーを感じさせるピスタチオ。もっともっとピスタチオのことを知って、もっともっとハッピーになってください。
女王に愛された”緑の宝石“
ピスタチオの歴史は3~4千年前の古代トルコ、ペルシャなどの地中海沿岸地方にさかのぼります。野生で砂漠に産していたものを食用に栽培するようになり、重要な保存食として、また神事や祭事などの供物としても用いられていました。
希少な美味としてもてはやされたピスタチオは、とくにシバの女王が好んで食したことで知られ、国内の全生産量を自分と家臣用に独占したほどと伝えられています。ピスタチオは不飽和脂肪酸や食物繊維などを多く含み、栄養学的にすぐれた食品です。当時女王がそのことを知っていたかどうかはわかりませんが、“緑の宝石(エメラルドジェム)”と呼ばれる美しいグリーンの実をもつピスタチオは、女王が愛するにふさわしいものだったに違いありません。
やがてピスタチオは、シリアからローマを経て、スペインからヨーロッパへと広まっていきました。アメリカの貿易商によって自国に紹介されたのは1880年代。しかし、当時はまだ中東出身の市民向けに輸入される程度でした。
”第二の故郷“アメリカ
カリフォルニア州にピスタチオ産業が誕生するのは、それからおよそ50年後。1929年に植物学者ウイリアム・E・ホワイトハウスがペルシャから厳選された品種を持ち帰り、翌年カリフォルニアで実験的に生産がはじまりました。砂漠に似た気候が栽培に適していたものの、木が成長するまでに7~10年、収穫の最盛期を迎えるまで約20年もかかるため、ようやく1本の実のなるすぐれた木が育ったのは1950年になってのことでした。その後さらに栽培法の研究や品種改良が重ねられ、1960年代には州全域で植付けが行われるまで拡大、1976年には商品作物として初めて約680トン(150万パウンド)のピスタチオが収穫されました。
いまでは初年度の200倍以上の収穫量を産出し、イランに次ぐ世界第2位の生産地として知られ、ピスタチオの“第二の故郷”とまでいわれるようになりました。しかしその陰には、長年にわたる生産業者の不断の努力があったのです。
クオリティを求めて
ピスタチオは隔年結実、つまり実を多くつけた翌年は、実が少なくなります。また収穫後12~24時間以内に処理(皮むきと乾燥)をしないと殻にシミが出てしまうため、カリフォルニアの業者はシミが出るのを防止し、自然の色の状態で販売できるようにするために、数百万ドルを投資してピスタチオを迅速に処理する設備を整えました。